大判例

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横浜地方裁判所 平成4年(行ウ)1号 判決

1 甲事件原告 松田大

2 乙事件原告 秋吉隆雄

〈他43名〉

右原告番号1から45の原告ら訴訟代理人弁護士 根本孔衛

同 飯田伸一

同 間部俊明

同 小賀坂徹

右間部訴訟復代理人弁護士 町川智康

右原告番号1、5、6から8、10から19の原告ら訴訟代理人弁護士 栗山博史

右原告番号1の原告訴訟代理人弁護士 木村和夫

同 杉井厳一

同 岩村智文

同 篠原義仁

同 横山國夫

同 伊藤幹郎

同 星山輝男

同 岡田尚

同 武井共夫

同 小島周一

同 三木恵美子

同 芳野直子

同 陶山圭之輔

同 陶山和嘉子

同 星野秀紀

同 佐伯剛

同 小野毅

同 岩橋宣隆

同 高橋宏

同 根岸義道

同 大塚達雄

同 野村和造

同 滝本太郎

同 森田明

同 折本和司

甲乙事件被告 長洲一二(口頭弁論終結後死亡)

甲乙事件被告 井口隆時(口頭弁論終結後死亡)

右被告ら訴訟代理人弁護士 岡昭吉

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求(甲乙事件)

一  被告長洲一二は、神奈川県に対し、三三〇〇円及びこれに対する平成四年三月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告長洲一二及び被告井口隆時は、神奈川県に対し、各自二万五一五〇円及びこれに対する被告長洲一二は平成四年三月二四日から、被告井口隆時は同月二二日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

第二事案の概要

本件は、神奈川県(以下「県」ということがある。)知事であった被告長洲一二(以下「被告長洲」という。)が平成二年一一月一二日皇居正殿松の間において行われた即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀(以下「即位礼正殿の儀」という。)に、また、神奈川県議会議長であった被告井口隆時(以下「被告井口」という。)が右即位礼正殿の儀及び同年一一月二二日から同月二三日にかけて皇居東御苑内の大嘗宮(だいじょうきゅう)で行われた大嘗宮の儀(以下「大嘗宮の儀」という。)に、いずれも県の公金をもって参列したところ、右公金支出は、憲法の定める政教分離原則、国民主権原理等に違反する違憲違法の儀式に参列するためのもので違法、無効であるなどとして、神奈川県の住民である原告らが、神奈川県に代位して、被告らに対し、地方自治法(以下「地自法」という。)二四二条の二第一項四号に基づき、右各旅費相当額について、損害賠償ないし不当利得返還の請求を求めた住民訴訟である。

一  争いのない事実等(末尾に証拠等の記載のないものは、当事者間に争いがない。)

1  当事者

(一) 原告らは、いずれも肩書地に居住する神奈川県の住民である。

(二) 平成二年当時、被告長洲は県知事の職にあったものであり、被告井口は県議会議長の職にあったものである。

2  本件各儀式と被告らの参列

(一) 昭和天皇から新天皇への天皇代替わりの儀式の一環として、(1) 平成二年一一月一二日、皇居正殿松の間において、国事行為として、即位礼正殿の儀が行われ、(2) 同年一一月二二日から翌二三日にかけて、皇居東御苑内の大嘗宮において、皇室行事として、大嘗宮の儀が行われた。

(二) 被告長洲は右(1)の儀式に、被告井口は右(1)(2)の儀式に、それぞれ公務として出席した。

3  本件公金の支出

(一) 即位礼正殿の儀参列に係る旅費の支出

(1) 県財務規則により県知事から権限の委任(専決)を受けた県総務部秘書室長代理は、同規則の規定に基づき、被告長洲の即位礼正殿の儀参列のための旅費として、三三〇〇円の支出負担行為及び支出命令を決定し(以下「本件公金支出(一)(1)」という。)、右金員が支出された。

(2) 県財務規則により県知事から権限の委任(専決)を受けた県議会事務局総務課長代理の職にあった県総務部秘書室長代理は、同規則の規定に基づき、被告井口の即位礼正殿の儀のための旅費として、三一五〇円の支出負担行為及び支出命令を決定し(以下「本件公金支出(一)(2)」という。)、右金員が支出された。

(二) 大嘗宮の儀参列に係る旅費の支出

県財務規則により県知事から権限の委任(専決)を受けた県議会事務局総務課長代理の職にあった県総務部秘書室長代理は、同規則の規定に基づき、被告井口の大嘗宮の儀参列のための旅費として、二万二〇〇〇円の支出負担行為及び支出命令を決定し(以下「本件公金支出(二)」といい、これと本件公金支出(一)(1)(2)とを合わせて「本件公金支出」という。)、右金員が支出された。

4  監査請求

原告らは、本件公金支出につき、地自法二四二条一項に基づき、神奈川県監査委員に対し、これによって神奈川県が被った損害の補填をするのに必要な措置を請求した。神奈川県監査委員は、平成三年三月一二日これを棄却し、そのころこれを原告らに通知した。

二  当事者の主張

(原告ら)

1 本件公金支出(一)(即位礼正殿の儀関係)の違法性

(一) 即位礼正殿の儀の違憲性

(1) 政教分離違反

ア 憲法二〇条三項、八九条違反

今回の即位礼正殿の儀は、「賢所(かしこどころ)に期日奉告の儀」に始まる一連の皇位継承儀式の一つであるが、それら一連の儀式とともに、登極令とその附式(明治四二年二月一一日皇室令第一号。以下「登極令」及び「登極令附式」という。)に準拠して行われた。しかし、この登極令は、天孫降臨神話(天皇制正統神話)を目に見える形で儀式的に表現したものであり、右神話によれば、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天皇家の祖先神であり、天皇はその子孫であるというのであり、皇祖天照大神は皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に天照大神が日本を統治する天皇位の正統性を象徴するレガリア(皇位を表す宝器)として「三種の神器」を授け、爾来これが皇位のしるしとされている。

今回の即位礼正殿の儀は、このような登極令附式に準拠して挙行された一連の皇位継承儀式の中心をなすものであり、正に天孫降臨神話を具現化する宗教儀式であった。すなわち、この儀式において中心的役割を担ったのは高御座(たかみくら=天皇の御座。三層の継壇の上に大鳳、小鳳、鏡等で装飾した八角形の屋形を立て、その中に椅子を置いたもの。)であり、これは、皇祖天照大神が皇孫瓊瓊杵尊を「天つ高御座」につけ、三種の神器を授け、日本国統治の神勅を賜ったという、右天孫降臨神話そのものに由来する。高御座は八角形の形状をしているが、それは大八州と呼ばれた日本全国を支配する者の玉座であるという象徴的意味によるのである。また、高御座の上部には大小の鏡が掲げられているが、それは皇祖天照大神自身を表現し、その子孫である天皇の即位を上から照覧していることを表している。さらに、高御座の左右の案(あん=物を置く台)には、三種の神器のうちの剣と璽(じ=まがたま)が置かれ、瓊瓊杵尊が天照大神から三種の神器を授けられたという天孫降臨神話を表現している。このように、今回の即位礼正殿の儀において高御座と三種の神器が使用されたことは、天皇が天孫降臨神話に忠実に従い、天皇家の祖先神である天照大神の子孫として即位したことを表現したものにほかならない。

また、今回の一連の皇位継承儀式において、天皇は繰り返し天照大神、歴代の天皇霊及び天神地祇(てんしんちぎ=天地の神々)と交流し、一体化することを行っている。そこでは、天皇がこれらの神々を祀る祭り主であるとともに、天照大神の子孫として、その神に託された神の国において、自らも神になるという宗教観念が表現されている。また天皇は、即位礼正殿の儀当日のわずか数時間前に、「即位礼正殿の儀当日賢所大前の儀」及び「即位礼正殿の儀当日皇霊殿に奉告の儀」という宮中三殿における宗教儀式を行っている。つまり、天皇は、即位礼正殿の儀の直前にあっても、これらの儀式において、自らが天照大神の子孫であり、今回の即位が天皇制正統神話に基づく即位であることを確認しているのである。そして、重要なのは、即位礼正殿の儀がこれらの儀式に引き続いて行われ、これらの宗教儀式と一体の儀式として行われている点であり、そのことからしても、即位礼正殿の儀が宗教性を有することは明らかである。なお、即位礼正殿の儀が、「即位礼正殿の儀当日賢所大前の儀」及び「即位礼正殿の儀当日皇霊殿に奉告の儀」と一体の儀式と見られることは、両儀式にも三権の長をはじめとする参列者が出席していることや、一様にこれが国費(宮廷費)から支出されていることなどから明らかである。

以上のとおり、即位礼正殿の儀は、明白な宗教行事であるから、これを国事行為として挙行したことは、いわゆる目的効果基準を適用するまでもなく、憲法二〇条三項、八九条に違反して、違憲である。

仮に、いわゆる目的効果基準に照らしてこれを見たとしても、これが憲法二〇条三項、八九条に違反することは明らかである。すなわち、今回の即位礼正殿の儀の目的は、一連の代替わり儀式を通じて、天照大神を中心とした神々と交流を重ねた天皇が、そのような神々と一体化し、神々の加護の下で即位したことを内外に明らかにすることにあったのであり、正に宗教的意義を有するものであったのである。また、今回の即位礼正殿の儀は、天皇を頂点にいただき、これを祭り主として崇めるという教義を持つ神社神道に対し著しい援助、助長、促進の効果を与えたのであり、このことは、神社本庁が、「平成二年の御大典を通じ、天皇の御本質、並に宮中祭祀の重要さが国民に再認識された面も少なくな」いとして(「改訂神道教化概説」二五頁)、これに率直に満足感を表明していることからも明らかである。したがって、今回の即位礼正殿の儀は、目的効果基準に照らして判断しても、憲法二〇条三項、八九条に違反する。

イ 憲法二〇条一項後段違反

即位礼正殿の儀は、憲法二〇条一項後段にも違反する。すなわち、憲法二〇条一項後段にいう宗教団体は、宗教法人法の宗教団体よりも広いと解されるが、便宜上、宗教法人法二条が、「この法律において、「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう。」として、その一つに、「礼拝の施設を備える神社、寺院、修道院その他これらに類する団体」を掲げていることに従い、皇室神道が右にいう宗教団体に当たるかどうかについて検討すると、まず、皇室神道には、言語として祝詞や和歌朗唱があり、儀式として一定の所作があり、歌舞音曲にも雅楽のような一定のものがあって、これらにより総合的に教義を広めている。また、皇室神道は、儀式行事を日常的に行っており、今回の即位礼正殿の儀、大嘗宮の儀もこうした皇室神道の儀式の一環として位置付けられるものである。また、皇室神道は、天皇が教主であり、祭祀を司る掌典、内掌典、仕女、掌典補は教主の補助者であり、信者であって、大嘗宮の儀のような祭祀を行うことによって、参拝者と参列者の宗教心の向上をはかり、もって信者の教化育成を行っている。そして、賢所、皇霊殿及び神殿という宮中三殿が礼拝の施設に該当する。このように皇室神道は、宗教法人法にいう宗教団体の定義を満たしていることは明らかであり、したがって、憲法二〇条一項後段にいう宗教団体に該当する。

ところで、即位礼正殿の儀が皇室神道の中核的教義である天孫降臨神話を具現化した宗教儀式であることは前述したとおりであるところ、今回政府は、このような内容の儀式を国事行為として挙行することによって、皇室神道が他の宗教と比べて特別な価値あるものであるとの印象を一般に与えた。これは、政府が皇室神道に宗教団体としての特権を付与したことに当たるから、今回、即位礼正殿の儀を国事行為として行ったことは、憲法二〇条一項後段に違反する。

(2) 国民主権原理違反

今回の即位礼正殿の儀は、憲法の国民主権原理にも違反する。すなわち、天孫降臨神話(天皇制正統神話)は、天つ高御座に降り立った皇孫瓊瓊杵尊が天照大神より日本国の統治を委ねられたとするものであるから、天皇がこれに基づき即位の儀式を行ったということは、天皇自身が日本国の統治者となったことを象徴するものであり、国民主権原理と対立するものである。また、天皇は、剣璽等承継の儀、賢所に期日奉告の儀以下の一連の神道儀式においても、天照大神と天神地祇との交流を重ねているのであり、こうした交流の上に即位礼正殿の儀を迎えたのである。すなわち、天皇は、即位礼正殿の儀を迎えるまでの長い儀式の間、またその終了後においても、国民に誓う姿勢を少しも見せず、天照大神等との交流のための儀式を重ねてきたのである。このように、天照大神との一体性、連続性を皇位の正統性のあかしであるとする今回の即位礼正殿の儀は、明白な宗教儀式であるとともに服属儀礼であり、憲法の定める国民主権原理に違反する。

また、今回の即位礼正殿の儀において、天皇は、一段高い高御座に昇って「お言葉」を述べ、その位置で内閣総理大臣の万歳三唱を受けた。これは天皇が一般国民とは異なる一段高い地位にあることを印象付けようとしたものであり、主権在民の思想に反するから、この点からも今回の即位礼正殿の儀は国民主権原理に違反する。

(二) 即位礼正殿の儀参列の違法性

以上のとおり、本件即位礼正殿の儀は違憲であるから、被告らがこのような儀式に参列することは、本来地自法二条二項の事務に該当しない。したがって、本件公金支出はいずれも違法である。

(三) 被告らの責任

平成二年九月上旬には、即位礼正殿の儀が高御座と剣璽を使用して挙行されることが新聞報道され、同月一九日には政府の即位礼正殿の儀委員会がその旨を発表し、同日開かれた宮内庁の大礼委員会においては、同年一一月一二日から一二月三日までの一連の皇室行事の日程が発表された。したがって、被告らは、このような新聞報道を通じて、遅くともそのころまでには即位礼正殿の儀が憲法の政教分離原則に違反する違憲の儀式であることを知り得たものである。しかるに、被告長洲は、公金支出に関する専決権者の指揮監督を怠り本件公金(一)を支出したから、本件公金支出(一)を賠償すべき義務があり、また被告長洲及び被告井口は、自ら公金を受領した者として、これを神奈川県に返還する義務がある。

2 本件公金支出(二)(大嘗宮の儀関係)の違法性

(一) 大嘗宮の儀の違憲性

(1) 憲法二〇条三項、八九条違反

大嘗宮の儀について、政府はこれに公的性格があるものとして、巨額の国費を支出した。しかし、大嘗宮の儀は、本来皇室の私的儀式であり、今回も皇室行事として行われている。しかも大嘗宮の儀は、天皇が神と一体になる儀式であるとされ、その前後に行われた一連の儀式においても、天皇は繰り返し天照大神、歴代天皇霊及び天神地祇との交流を続けたのであり、大嘗宮の儀が宗教儀式であることは明らかである。したがって、このような宗教儀式に国が国費を支出することは、いわゆる目的効果基準を持ち出すまでもなく、憲法二〇条三項、八九条に違反し、同時にこのような違憲な国の関与を受けて行われた大嘗宮の儀も、憲法二〇条三項、八九条に違反する。

(2) 憲法二〇条一項後段違反

大嘗宮の儀は、憲法二〇条一項後段にも違反する。すなわち、皇室神道が憲法二〇条一項後段の宗教団体に該当することは前述したとおりであるところ、政府は大嘗宮の儀に公的性格を認めることによって、皇室神道が他の宗教と比べて特別の価値あるものであるとの印象を一般に与えた。また、政府は、今回の大嘗宮の儀に莫大な国費を支出することによって、宗教団体としての皇室神道に特権を付与した。したがって、このように政府が大嘗宮の儀に公的性格を認め、巨額の国費を支出したことは、宗教団体に特権を付与することを禁じた憲法二〇条一項後段に違反し、同時にそのような違憲の特権を付与されて挙行された大嘗宮の儀も、憲法二〇条一項後段に違反する。

(3) 大嘗宮の儀参列の違法性

以上のとおり、大嘗宮の儀は憲法に違反する儀式であるから、被告井口が公務としてこれに参列することは、地自法二条二項の事務には属しない。したがって、被告井口が大嘗宮の儀に参列したことに旅費を支出したことは違法である。

(二) 大嘗宮の儀参列の違憲性

右のとおり、被告井口は、大嘗宮の儀に公務として参列したが、当時、神奈川県は、宮内庁から、従来の例に従った庭積の机代物(にわづみのつくえしろもの)を推薦されたいとの求めに応じて、県の組織を通じて選定作業を行い、茶・落花生等四品を決定してこれを供納した。このこと自身、憲法二〇条三項等に違反するが、被告井口は、このような扱いが行われている中で、公務として大嘗宮の儀に参列した。これは、神奈川県議会が皇室という宗教団体及びその祭祀としての天皇を特別に支援し、皇室が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教(皇室神道)への関心を呼び起こしたものであり、憲法二〇条一項後段、二〇条三項に違反する。

(三) 被告らの責任

前述したように、被告らは、新聞報道等により、平成二年九月ころには、大嘗宮の儀が宗教的性格を有するものであり、これに国費を支出することは違憲であって、大嘗宮の儀も違憲の儀式であることを十分に知ることができた。しかるに、被告長洲は、公金支出に関する専決権者の指揮監督を怠り、本件公金(二)を支出し、被告井口は、これを受領した。したがって、被告長洲は本件公金支出(二)の支払に関する専決権者の指揮監督を怠った者として本件公金支出(二)を賠償する義務があり、また被告井口は、自ら公金を受領した者として、これを神奈川県に返還する義務がある。

(被告ら)

1 儀式参列の適法性

(一) 本件は、即位礼正殿の儀ないしは大嘗宮の儀に被告らが参列するための旅費の支出が地自法上適法かどうかが問題とされているものである。その意味で、両儀式自体の合憲性が直接問題となるのではなく、招待を受けてそれらの儀式へ参列した行為の合憲性が直接問題となるのであるから、あくまで被告らの参列行為自体を問題とすべきであり、かつ、それで足りるものというべきである。そして、政教分離の原則は、国家の宗教的中立を要求する趣旨に基づくものの、国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないという趣旨ではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが我が国の社会的、文化的、その他の諸条件に照らし、相当とされる限度を超えると認められる場合にこれを許さない趣旨であると解するのが相当であるから、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものに限られると解すべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を有し、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉などとなるような行為を指すと解するのが相当である。このようないわゆる目的効果基準に照らし、被告らの参列行為が憲法二〇条三項にいう宗教的活動に当たるかどうかについて検討すると、以下のとおり、いずれもこれに当たらない。

(1) 即位礼正殿の儀への参列

被告らは、即位礼正殿の儀が、皇位の継承に伴い、天皇が即位を公式に宣明し、内外の代表がこれをことほぐ(祝う)という目的ないし趣旨から、これを国事行為として挙行する旨の政府見解が発表されており、かつ、即位の礼委員会委員長たる内閣総理大臣の案内を受けたことから、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、祝意を表する目的で、これに参列したものであって、その目的において宗教的意義は全く認められない。

また、即位礼正殿の儀は国事行為として、また、大嘗宮の儀は公的な皇室行事として挙行されたものであって、被告らは、これらの儀式について、その企画、実施などに参画し、あるいはこれを後援したことは全くなく、招待を受けて、三権の長、国会議員、他の都道府県知事ら及び多数の参列者とともに儀式に参列したにすぎないものであり、もとより儀式の運営ないし進行などには何らの関与もしていない。したがって、被告らの行為は、専ら日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、新天皇への祝意を表するという効果を有するにすぎず、それ以上の効果を有するものではない。

このように、被告らが即位礼正殿の儀に参列したことは、社会的儀礼に基づくものであるから、前記の目的効果基準に照らし、憲法二〇条三項にいう宗教的活動には当たらない。

(2) 大嘗宮の儀への参列

大嘗宮の儀は、宗教上の儀式としての性格を有することを否定することができないものの、もともと収穫儀礼に根ざしたものであり、かつ、憲法上皇位が世襲制であることに伴う一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式である。そこで、政府は、その儀式について国が深い関心を持ち、その挙行を可能にする手当てを講ずるのは当然であるとの観点から、公的な皇室行事として大嘗宮の儀を挙行し、その費用は宮廷費から支出する旨の見解を公表していた。被告井口は、大礼委員会委員長たる宮内庁長官の案内を受けたことから、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、祝意を表する目的で、大嘗宮の儀に参列したものであって、その目的に宗教的意義は全く認められない。また、大嘗宮の儀は、公的な皇室行事として挙行されたものであって、被告井口は、これらの儀式について、その企画、実施などに参画し、あるいはこれを後援したことは全くなく、招待を受けて三権の長、国会議員、他の都道府県知事ら多数の参列者とともに儀式に参列したにすぎないのであり、もとより儀式の運営ないし進行などには何ら関与していない。したがって、被告井口の大嘗宮の儀への参列は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、新天皇への祝意を表するという効果を有するにすぎず、それ以上の効果を有するものではない。

このように、被告井口が大嘗宮の儀に参列したことは、前記の目的効果基準に照らし、宗教的意義を有するものではなく、また、その効果が宗教に対する援助等にわたるものではないから、政教分離の原則に違反しない。

(二) この点に関し、原告らは、被告らが儀式に参列するという形で積極的に関与し、神々と一体となった天皇に祝意を表したものであり、その参列によって儀式が成立したのであるから、大嘗宮の儀への参列は、いわゆる目的効果基準に照らし、憲法二〇条三項にいう宗教的活動に当たると主張するが、原告らの右主張は、前述したような被告らの行為の実態と全くかけ離れたものであり、失当である。

2 仮に、即位礼正殿の儀そのものの合憲性及び大嘗宮の儀に国費を支出したことの合憲性が問題となるとしても、以下のとおり、これらはいずれも合憲である。

(一) 即位礼正殿の儀の合憲性

即位礼正殿の儀は、憲法七条一〇号及び皇室典範二四条の国事行為として行われたものであり、天皇が即位を公に宣明するとともに、その即位を内外の代表者がことほぐ儀式であって、宗教上の儀式としての性格を有しない。右儀式に高御座を使用したのは、高御座が古式ゆかしい調度品として伝承されてきたという文化的・伝統的な側面に着目したからであって、これを使用したからといって、憲法上の天皇の地位を何ら歪めるものではない。また、高御座を使用したことによる天皇と参列者との高低差については、儀式の内容及び性格上、天皇に対するそれ相当の儀礼を考慮したものというべきである。また、剣、璽は、皇室経済法七条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」であることから、即位礼正殿の儀に展示されたものであり、神話とは無関係であり、政教分離及び国民主権の原則に違反するものではない。さらに、即位礼正殿の儀における天皇の「お言葉」は、現行憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承したことを内外に宣明するとともに、現行憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓うというものであり、神々の加護の下における即位である旨を内外に宣明した事実もなければ、内閣総理大臣がそれを前提とする発言をした事実もない。結局、即位礼正殿の儀は、皇位の継承に伴い、天皇が即位を公式に宣明し、内外の代表がこれをことほぐという世俗的な目的から国事行為として行われたものであり、その効果も右目的に尽きるものであって、政教分離の原則に反するものではなく、また、儀式の内容に照らしても、国民主権原理に反するものではない。

(二) 大嘗宮の儀に対する国費支出の合憲性

大嘗宮の儀は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざした伝統的皇位継承儀式で、天皇が安寧と五穀豊穣などを感謝、祈念するものであって、宗教上の儀式としての性格は否定できないことから、皇室行事として行われたが、皇位が世襲であることに伴う一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であり、皇位の世襲制を採る現行憲法の下において、国がその儀式について深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずることは当然のことであるから、その費用を宮廷費から支出することにしたものであって、その目的において宗教的意義は認められず、また、その効果においても、特定の宗教を援助、助長、促進するという効果をもたらすものではないから、いわゆる目的効果基準に照らし、政教分離の原則に違反するものではない。

3 本件公金支出の適法性

以上のとおり、神奈川県職員の専決によってされた本件公金の支出は適法であるから、当時神奈川県知事の職にあった被告長洲に、本件公金支出に関し、財務会計上の違法があったということはできないし、また、本件公金の支出を受けた被告らに、これを返還すべき義務があるということもできない。

4 原告らの主張に対する反論

(一) 原告らは、「賢所に期日奉告の儀」から始まった今回の一連の天皇代替わり諸儀式のすべてに国費である宮廷費が支出されたとして、即位礼正殿の儀、大嘗宮の儀と関連諸儀式の一体性は明らかであると主張する。しかし、大嘗宮の儀の挙行のため必要な費用を宮廷費から支出することとされたのは、大嘗宮の儀が一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であることから、皇位の世襲制を採る現行憲法下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずることが当然であり、その意味で大嘗宮の儀が公的な性格を有するからである。また、即位礼正殿の儀に国費が支出されたのは、それが憲法七条一〇号及び皇室典範二四条所定の国事行為として挙行されたからである。このように、即位礼正殿の儀及び大嘗宮の儀に国費が支出されたのは、それぞれ固有の理由によるものであるから、これらのすべてに宮廷費が支出されたとしても、それによって、即位礼正殿の儀、大嘗宮の儀及び関連儀式が一体のものであると見ることはできない。したがって、この点の原告らの主張は失当である。

また、原告らは、即位礼正殿の儀は「賢所に期日奉告の儀」に始まる一連の皇位継承儀式と一体不可分で、その中心的意義を有する儀式であり、これら一連の儀式は全体として明白な宗教儀式であると主張する。しかし、今回の即位礼正殿の儀は、政教分離の原則及び国民主権原理に反しない範囲で、皇室の伝統を尊重して行われたものというべきであるから、原告らの右主張は失当である。

(二) 原告らは、被告らの行為について、単に即位礼正殿の儀や大嘗宮の儀に参加したというにとどまらず、全体としての天皇代替わり儀式に積極的に関与したと評価し得ると主張する。しかし、被告らが即位礼正殿の儀ないし大嘗宮の儀に参列した理由、目的はあくまで社交儀礼に基づくものであって、天皇代替わり儀式に積極的に関与したものでも、これに参画したものでもないから、原告らの右主張は失当である。

三  本件の主な争点

本件の主な争点は、

1  本件公金支出(一)の違法性と被告らの責任の有無、具体的には、即位礼正殿の儀の違憲性の有無(争点1)、

2  本件公金支出(二)の違法性と被告らの責任の有無、具体的には、(一) 大嘗宮の儀の違憲性の有無(争点2)、(二) 大嘗宮の儀参列の違憲性の有無(争点3)、

である。

第三当裁判所の判断

一  判断の順序及び事実の経緯について

1  即位礼正殿の儀及び大嘗宮の儀の違憲性の判断の要否

本件においては、被告らが即位礼正殿の儀に、被告井口が大嘗宮の儀にそれぞれ参列し、神奈川県が、参列に伴う旅費を支出したことの違法性の有無が問題とされているところ、被告らは、これらの儀式への参列は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、祝意を表するという目的に出たものであり、その効果も天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、新天皇への祝意を表するという以上のものではなく、憲法の定める政教分離原則に違反するとはいえないから、即位礼正殿の儀及び大嘗宮の儀が違憲かどうかを問題とするまでもなく、本件公金支出は違法とはいえない旨主張する。

しかし、一般に、知事あるいは県議会議長が儀式に公務として参加することは社会的儀礼に基づく行為として許される場合が原則であろうが、その儀式が憲法上許されないものであるときは、知事あるいは県議会議長がそのような儀式に参列することは公務であるとはいえないから、そのための旅費を公金から支出することが違法となる可能性が生じる。本件において、原告らは、即位礼正殿の儀及び大嘗宮の儀はいずれも違憲であり、したがってこれらの儀式に被告らが参列したのは違法であり、これに旅費を支給したのも違法であるとして、正にこの点を主張しているから、まず即位礼正殿の儀及び大嘗宮の儀が違憲かどうかを判断しなければならない。また、右の儀式に参列したことの合憲性、合法性を直接問題とすれば足りるとする被告らの第一次的な主張による場合にも、被告らの参列した儀式の性質を検討しなければ、参列の違法性を正確に判断することはできない。

2  即位礼正殿の儀及び大嘗宮の儀の儀式の内容並びに両儀式開催の経緯等

そこで、即位礼正殿の儀及び大嘗宮の儀の儀式の性格、とりわけそれが政教分離の憲法上の原則に反したものであるか否かを検討することとするが、それに先立ち、これらの儀式の内容、これらの儀式開催が決定されるに至った経緯、これらが第三者に与えた影響等を概観するに、前記争いのない事実と《証拠省略》よれば、以下の事実が認められる。

(一) 剣璽等承継の儀

昭和六四年(平成元年)一月七日、昭和天皇が崩御し、新天皇が皇位を継承したことに伴い、同日午後一〇時一分から、皇居において、皇位のしるしとされる三種の神器のうち剣と璽並びに御璽と国璽(ともに純金印章)が承継される剣璽等承継の儀が行われた。新天皇は、その後一年間、皇室服喪令に従い、喪に服した。

(二) 即位の礼、大嘗宮の儀の検討

(1) 内閣における検討

内閣は、平成元年七月、「即位の礼検討委員会」(委員長石原信雄官房副長官)を設置し、同年九月二六日の閣議で「即位の礼準備委員会」(委員長森山真弓官房長官)を設置することを決定した。即位の礼準備委員会は、同月二八日から検討に入り、右検討の過程で、即位の礼の在り方等に関し、一五名の有識者に対するヒアリングを四回にわたり実施した。そして、即位の礼準備委員会は、同年一二月二一日最終会合を開き、「即位の礼の挙行について」と題する政府見解をまとめ、これが同日開かれた臨時閣議で了承された。

この政府見解の大要は、「①国事行為たる即位の礼として、即位礼正殿の儀(仮称)、祝賀御列の儀(仮称)、饗宴の儀(仮称)を平成二年秋を目途として行うものとし、喪明け後に内閣に設置する予定の「即位の礼委員会」の協議を経て、内閣においてその細目を決定する。このうち、即位礼正殿の儀は、即位を公に宣明するとともに、その即位を内外の代表が祝う儀式である。次に祝賀御列の儀は、即位礼正殿の儀後に広く国民に即位を披露し祝福を受ける儀式であり、饗宴の儀は、即位を披露し、祝福を受けるための饗宴の儀式である。②即位礼正殿の儀(仮称)及び饗宴の儀(仮称)はいずれも宮殿で行う。③大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、皇位継承に伴う伝統的な儀式という性格を持つものであるが、その中核は天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣等を感謝し、国家・国民のため安寧と五穀豊穣等を祈念する儀式であり、宗教上の儀式としての性格を有する面があるので、これを国事行為として行うことは困難である。④大嘗祭を皇室行事として行う場合であっても、大嘗祭は、皇位が世襲であることに伴う一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であり、公的性格があるから、その費用を宮廷費から支出することが相当である。」というものであった。

(2) 宮内庁における検討

(1)の内閣の検討と軌を同じくして、宮内庁においても即位の礼の検討が開始された。まず、平成元年七月「大礼検討委員会」(委員長藤森昭一宮内庁長官)が設置され、同委員会において、日程、参列者の数、調度品の調達、大嘗宮の規模等の検討が始められた。

そして、同年九月二六日、「大礼準備委員会」(委員長藤森昭一宮内庁長官)が設置され、(1)のとおり内閣の即位の礼準備委員会が「政府見解」をまとめたのに合わせて、宮内庁の大礼準備委員会も、同年一二月二一日、「検討結果」と、大嘗宮の儀の諸儀式を定めた「骨子」を公表した。この骨子は、「大嘗祭は皇室の伝統に従い先例等を参酌して行う。その中心的儀式である「大嘗宮の儀」(仮称)及び「大饗の儀」(仮称)は、平成二年秋を目途とし、国事行為たる「即位の礼」の挙行後を予定する。挙行場所は皇居内を予定し、大嘗宮を設営する。」というものであった。

(三) 国会の対応

(1) 即位の礼関係に対する予算措置として、平成元年一二月二四日、平成二年度予算の大蔵原案が内示され、即位の礼及び大嘗祭に八一億一八〇〇万円が計上された。その後、政府は、過激派の活動激化に対応するため、平成二年一〇月一一日の事務次官会議で、即位の礼等に関する警備費用として予備費から四二億〇九八〇万円(うち交通費三一億三〇〇〇万円、過激派捜査費用五億八〇〇〇万円)の追加支出を決めたため、即位の礼、大嘗祭関係の予算は、総額で一二三億二七八〇万円に達した。

(2) 即位の礼等に関しては、平成元年一一月の参議院内閣委員会、平成二年四月の衆議院内閣委員会、同月の衆議院予算委員会等で、儀式の法的根拠、儀式の宗教性、国費支出の根拠等が議論された。

(四) 即位の礼等の儀式内容の決定

(1) 内閣における動き

内閣は、昭和天皇の喪が明けた平成二年一月八日、即位の礼の実施大綱を検討する「即位の礼委員会」(委員長海部俊樹内閣総理大臣)の設置を決定し、初会合を開いた。その結果、同年一月一九日、即位の礼を同年一一月一二日に行うことが決定され、続いて開かれた閣議で、即位の礼として、即位礼正殿の儀、祝賀御列の儀及び饗宴の儀を国の儀式として行うこと、「即位の礼実施連絡本部」(本部長森山真弓官房長官)を設置することなどが決定された。即位の礼実施大綱は、即位礼正殿の儀を、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重して、天皇が即位を公に宣明するとともに、その即位を内外の代表がことほぐ儀式と定義付けた。

次いで、即位の礼実施連絡本部は、即位の礼の細目や参列者の選定、儀式の細目や、運営方法、天皇の「お言葉」などを検討し、同年九月一九日、即位礼正殿の儀、祝賀御列の儀、饗宴の儀の式次第の実施要綱を、「①即位の礼、大嘗祭は皇居で行う。②内閣総理大臣の万歳の文言を「御即位を祝して、天皇陛下万歳」とし、発声の位置は天皇と同じ殿上とする。③旛(ばん=のぼり)の紋様から神話・伝説に基づく金色の霊鵄(れいし=とび)、八咫鳥(やたがらす)、魚、厳瓷(いつべ=酒がめ)を消す。④内閣総理大臣以下の衣装を古装束からモーニングに改める。⑤神話色を薄めるため剣璽に加えて国璽・御璽を置く。」などと定めた。そして、平成二年一〇月一九日実施要綱に基づく即位礼正殿の儀の式次第の細目が閣議決定され、同月二三日官報告示された。

(2) 宮内庁における動き

一方、宮内庁においては、平成二年一月八日の内閣の即位の礼委員会の設置と合わせて、「大礼委員会」(委員長藤森昭一宮内庁長官)が設置された。大礼委員会は、同月一九日、大礼関係の儀式と概要を発表し、その中で、大嘗宮の儀を同年一一月二二日夕刻から二三日未明にかけて皇居東御苑で行うことを決定した。さらに、大礼委員会は、同年九月一九日、大嘗祭を含む一連の皇室の儀式の諸日程を決定し、式次第の概要を発表した。そして、大嘗祭の式次第は、同年一一月二日の官報に掲載された。

(五) 即位の礼までの儀式等

平成二年一月二三日、天皇が宮中三殿に即位の礼及び大嘗祭を行う期日を報告する「賢所に期日奉告の儀」及び「皇霊殿神殿に期日奉告の儀」が行われた。右の宮中三殿とは、賢所、皇霊殿及び神殿の三つをいい、賢所は三種の神器の一つである鏡が置かれ、天照大神を祀る所であり、皇霊殿は歴代の天皇及び皇族の霊を祀る所であり、神殿は天神地祇を祀る所である。儀式には、皇族、海部俊樹内閣総理大臣をはじめとする三権の長、認証官、各省事務次官、自治体の代表ら四一人が参列した。同日、伊勢神宮、神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に勅使を派遣し即位の礼及び大嘗祭を行う期日を報告する「神宮神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀」が行われた。また、同月二五日、即位の礼及び大嘗祭を行う期日を勅使が神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に奉告し幣を供える「神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に奉幣の儀」が行われた。

同年二月八日、大嘗宮の儀用の新穀の供出県を定める「斎田(さいでん)点定の儀」が神殿前庭で行われ、亀の甲羅を用いた占いにより、東日本の一八都道県の中から「悠紀(ゆき)の地方」に秋田県が、西日本の二九府県の中から「主基(すき)の地方」に大分県がそれぞれ選出され、両県からそれぞれ斎田が決定された。そして、それぞれの斎田で「斎田抜穂前一日大祓の儀」及び「斎田抜穂の儀」が行われ、それぞれ県知事、副知事、県農政部長、県農協中央会長、市町村長等が参列した。収穫された新米は、皇居に運び込まれ、同年一〇月二五日、これを斎庫に納める「新穀供納」が行われた。

(六) 即位の礼、大嘗宮の儀等の挙行

(1) 即位礼当日賢所大前の儀等

平成二年一一月一二日午前九時から「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」が行われ、天皇が即位の礼をその日に行うことを宮中三殿に奉告した。この儀式には、皇族、海部俊樹内閣総理大臣をはじめ三権の長、国務大臣、認証官、事務次官、自治体首長など合計約六〇名が参列し、天皇の奉告に続き、皇后、皇族及び参列者が拝礼した。

(2) 即位礼正殿の儀

そして、平成二年一一月一二日午後一時から、即位礼正殿の儀が皇居正殿で行われた。即位礼正殿の儀は、前記(二)(1)①のとおり、天皇が即位を公に宣明するとともに、その即位を内外の代表が祝う儀式であり、三権の長、国務大臣、自治体代表、皇族、外国使節約二二〇〇名が参列した。

この儀式においては、前記(四)(1)後段の即位の礼実施連絡本部による実施要綱を踏まえ、まず正殿松の間の向かって左に高御座(高さ約一・三メートルの四角の継壇に八角の屋形を乗せ中に厚敷を敷いた玉座で、大正天皇の即位に際し登極令に基づき新造され、昭和天皇の即位の礼の際にも用いられたものであって、今回の即位礼正殿の儀のために京都御所から皇居正殿松の間に運び入れられた。)、右に御帳台(みちょうだい=皇后の御座)がそれぞれ帳を下ろして並べられた。また、正殿前庭には、太刀、弓、桙(ほこ)、楯、鉦(しょう)、鼓(こ)などの威儀物と呼ばれる武器を持つ威儀物捧持者が並んだ。桙は左右一〇本、旛は左右一三本ずつが並んだ。そして、大錦旛の八咫烏と鵄の紋様は神話にちなむため菊の紋に代えられ、万歳旛の厳瓷と五匹の魚の紋様も同様の理由で消された。このような式のために必要な用具等が配置された後に、最初に皇族と三権の長が正殿松の間に立ち、次いで黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)の束帯、立纓(りゅうえい)の冠を身に着け、手に笏(しゃく)を持った天皇が、剣を捧持する侍従を前に、璽を捧持する侍従を後ろにそれぞれ従えて宮殿の回廓を進み、正面から松の間に入った後、裏面から高御座に昇った。続いて、十二単の皇后が同じく宮殿の回廊を進み、正面から松の間に入り、裏面から御帳台に昇った。高御座の天皇の左手の案には剣、右手の案には璽が置かれ、璽の近くに御璽と国璽が置かれた。続いて、高御座及び御帳台の帳(とばり)が開けられ、天皇、皇后と参列者とが対面し、参列者は、鉦の合図で起立し、鼓の合図で敬礼した。そして、海部内閣総理大臣が高御座の前に進み出ると、天皇が「日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承し…日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としての務めを果たす」旨の「お言葉」を述べた。次いで、海部首相が「私たち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ、心を新たに、世界に開かれ、活力に満ち、文化の薫り豊かな日本の建設と、世界の平和、人類福祉の増進とを目指して、最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます。」との寿詞(よごと)を述べ、「御即位を祝して、天皇陛下万歳」と発声し、万歳三唱が行われた。

(3) 大嘗宮の儀当日賢所大御饌供進の儀等

平成二年一一月二二日午前、伊勢神宮では「神宮に奉幣の儀」が、皇居宮殿では「大嘗宮の儀当日賢所大御饌供進の儀」及び「大嘗宮の儀当日皇霊殿神殿に奉告の儀」がそれぞれ行われた。

(4) 大嘗宮の儀

そして、平成二年一一月二二日、大嘗宮の儀が皇居の東御苑に設営された大嘗宮(悠紀殿(ゆきでん)と主基殿(すきでん)とから成る。)で行われた。そのうちの悠紀殿供饌の儀は同日午後六時三〇分から大嘗宮内の悠紀殿で、主基殿供饌の儀は翌二三日午前零時三〇分から大嘗宮内の主基殿でそれぞれ行われた。悠紀殿、主基殿とも内部配置は同一で、内陣には天皇の座、神座、寝座が設けられ、外陣には剣璽が置かれた。式次第は悠紀殿の儀及び主基殿の儀とも同一であり、天皇は自ら神饌(新穀)を供え、拝礼した上で「告文」を読み、神饌を食べるという直会(なおらい)を行った。内陣での式次第は秘儀とされ、公開されなかった。神饌を並べる一四人の釆女(うねめ)役は、御用掛と呼ばれる皇室の補佐役の中から予備の要員四人を含む一四人が担当した。

この儀式にも、三権の長、国会議員、官庁の代表、都道府県知事、各界の代表等が参列(悠紀殿供饌の儀は約七三三名、主基殿供饌の儀は約四六〇名)し、悠紀殿、主基殿とは離れた場所に設置された幄舎(あくしゃ)と呼ばれる建物の中で儀式の様子を見守ったが、幄舎からは内陣の様子を窺い知ることはできなかった。

(5) 登極令附式の踏襲

今回の即位礼正殿の儀及び大嘗宮の儀は、その式次第、内容、衣装等は、いずれも基本的には登極令附式を踏襲する形で行われた。なお、登極令附式に定められた天皇の代替わり儀式と、今回の即位の令関連の儀式を対比すると、別表対照表のとおりである。

(七) 高御座、大嘗宮の一般参観等

大嘗宮は、平成二年一一月二九日から一八日間にわたり、一般参観に供され、その後解体された。また、京都御所から運び入れられていた高御座は再び京都御所に戻された後、同年一二月一五日から一〇日間、同所で一般参観に供された。

以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  争点1(即位礼正殿の儀の違憲性の有無)について

1  即位礼正殿の儀と憲法二〇条三項違反の有無について

原告らは、即位礼正殿の儀が憲法二〇条三項に違反すると主張するので、以下、検討する。

(一) 憲法二〇条三項の「宗教的活動」の意義と判断基準

憲法二〇条三項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定して、国及びその機関が宗教的活動をすることを禁止している。これは、明治憲法下にあって、国が神道に事実上国教的地位を与え、他の宗教を排斥したことが結果的に種々の弊害をもたらしたという苦い経験の上に立って、信教の自由を無条件に保障するとともに(同条一項前段、二項)、国家と宗教との関係を分離し、国が宗教と過度にかかわり合いを持たないようにすることを制度的に保障することによって、信教の自由の保障をより一層確実なものにしようとする趣旨に出たものと解される。しかし、他面、このような政教分離の原則をあまり厳格に貫くと、かえって国家が宗教に冷淡となり、常識に反するような結果を招いたり、極端な場合、信教の自由を害する結果をもたらすことにもなりかねない。したがって、憲法は、国家が宗教とかかわり合いをもつことを一切禁止していると解するのは相当でなく、相当とされる限度を超えない限り、これを許しているものと解すべきである。このような観点からすると、憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」とは、宗教とのかかわり合いを有する行為のうち、右にいう相当とされる限度を超えるものがこれに当たると解すべきであって、具体的には、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである(以下「目的効果基準」という。)。そして、その判断にあたっては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意義の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならないものというべきである(最高裁昭和五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁)。

この点に関し、原告らは、国家が直接宗教儀式を行ったり、宗教儀式に対して直接の人的援助を行ったりした場合には、目的効果基準を適用するまでもなく、客観的に対象となる儀式の宗教性が問われることになると主張する。しかし、国家と宗教儀式あるいは宗教的活動との関係は、それを見る者の宗教観、宗教的体験等により区々であり、果たしてそれが直接的かどうかは必ずしも一義的に決められないものがあるから、原告らの主張するような基準により目的効果基準を適用するのは相当とはいえず、むしろ、およそ国家が多少なりとも宗教的儀式ないし宗教的活動とかかわり合いを有したと見られる場合は、それが憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に当たるかどうかが問題となるものとして、目的効果基準に照らし、判断されると解するのが相当である。

(二) 即位礼正殿の儀と目的効果基準

(1) 即位礼正殿の儀と宗教とのかかわり合い

ところで、今回の即位礼正殿の儀は、前記認定のとおり、国事行為として行われたので、国の関与がある儀式である。そして、前記一2(二)(1)及び同(四)(1)のとおり、神話色を薄める工夫も施されることとされたが、その儀式の内容の骨格は別表対照表から明らかなとおり、基本的には登極令附式を踏襲するものであったといわざるを得ない。そして前記一2(六)(2)のとおり、束帯姿の天皇が高御座に昇り、即位を内外に宣言し、これに対し内閣総理大臣が祝いの言葉を述べ、万歳を三唱するという形で行われ、天皇の左右には、剣と璽が置かれたが、《証拠省略》によれば、この高御座は、天皇の祖先神である天照大神が孫の瓊瓊杵尊を日本に降ろして三大の神勅と三種の神器(八咫鏡=やたのかがみ、草薙剣=くさなぎのつるぎ、八坂瓊勾玉=やさかにのまがたま)を与えたという天孫降臨神話を具現化したものともいわれ、また、天皇の両脇に置かれた剣と璽は、この天孫降臨神話に登場する三種の神器のうちの剣と勾玉(まがたま)であるとされていることが認められるから、これらを用いて行われた今回の即位礼正殿の儀は、なお宗教、特に神道とのかかわり合いを有していたといわざるを得ない。天孫降臨神話は天照大神が現在の天皇の祖先神であるとするものであり、一方、神社神道は天照大神を祭神とするものであって、一般に天照大神といえば、神道に関係するものとの感を抱かせるものがあるからである。そこで、前記(一)のような観点から、国が国事行為とする形でかかわり合いを持った今回の即位礼正殿の儀が単に神道とのかかわり合いを有しているにとどまるものか、それとも憲法二〇条三項にいう「宗教的活動」に当たるかどうかについて、目的効果基準に照らし、検討することとする。

(2) 即位礼正殿の儀の目的

まず、即位礼正殿の儀の目的の点について見ると、前記一2(二)(1)及び同四(1)のとおり、政府は、即位礼正殿の儀を「即位を公に宣明にされるとともに、その即位を内外の代表がことほぐ儀式」と定義付けており、少なくとも表明された目的の点では、単に即位を公に宣明することであり、宗教的目的はないというべきである。しかも、神道とのかかわり合いを有している点についても、国は次のとおり神道を広める等の宗教的目的をもってしたのではなく、従前の即位礼正殿の儀の伝統を尊重した結果というべきである。すなわち、《証拠省略》によれば、歴史的に見ると、天皇の即位礼は、古代においては天皇が三種の神器を承継して高御座に昇り、即位を宣言して臣下の寿詞・拝賀を受ける一つの儀式であったが、平安時代の初期のころからは、践祚(せんそ)の儀(三種の神器の受け渡しの儀式)とは別に行われるようになったこと、高御座はこの平安期の初期ころから天皇の御座として使用されるようになったこと、剣と璽は、鏡とともに皇位のしるしとされ、天皇就任儀礼が行われるようになった律令制当初から使用されてきた経緯があること、すなわち、即位の礼に際しこれらの調度品等が用いられたのは、明治四二年に制定された登極令附式に従い即位の礼が行われるようになった大正、昭和の時代に始まったことではなく、遠く奈良、平安時代にさかのぼるものであること、その意味で、これらの調度品等を用いることは、古来からの皇室の伝統に沿い、かつ、それを尊重する面があること、以上の事実が認められる。右認定の事実によれば、今回、登極令附式を基本的に踏襲する形で即位礼正殿の儀を行い、高御座、剣、璽を用いたのは、即位礼正殿の儀を皇室の伝統を尊重して行うという世俗的な目的に出たということができるのである。

もちろん、世俗的な儀式にするために、政教分離の趣旨を徹底し、即位礼正殿の儀において、宗教とのかかわり合いを完全に近いほどに排除することも考えられるが、そのようにするなら、前記のような儀式の内容を大幅に変更する必要があったということになる。そして、そのためには、天皇の代替わり儀式としての即位礼正殿の儀が歴史的に継承してきた伝統を変更するしかないことになる。しかし、天皇は憲法上国の象徴であり、国民統合の象徴であるとされているから、代替わりの儀式の伝統を変更してこれまでと異なる性格の儀式とするといったことは、たとえ様式の問題であるとはいえ、象徴天皇制を定めている憲法一条との関係の問題も生じかねない。また、憲法二条は、天皇の世襲制を認めているから、即位礼正殿の儀を伝統的な様式を踏襲して行うことには相応の合理性があるというべきである。前記一2(二)(三)(四)のとおりの事実及び《証拠省略》によれば、政府は、政府見解において、これを憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統を尊重して挙行する旨発表したこと、また、即位礼正殿の儀に高御座を使用することについて、政府委員は、参議員の内閣委員会において、高御座は戦前の神格化された天皇を象徴するものではないかという一部議員からの質問に対し、高御座は古くから天皇の即位の礼に際し天皇の御座として用いられ、皇位と密接に結びついた古式ゆかしい調度品として伝承されてきたことから、その文化的、伝統的側面に着目して、今回の即位礼正殿の儀においても用いることにした旨繰り返し答弁していることが認められるが、それは右のとおりに解されるのであり、本件において、それ以上の他意あるいは伝統尊重の名の下に天皇を神格化したり、天孫降臨神話を具現化するなどの宗教的目的があったことを窺わせるに足りる証拠はない。

(3) 即位礼正殿の儀の効果

次に、即位礼正殿の儀の効果の点について見ると、まず、前記一2(六)(2)のとおり即位の宣明の目的が実現された。次に、即位礼正殿の儀に宗教とのかかわり合いがあったことは(1)のとおりであるが、即位礼正殿の儀は、神話、三種の神器、高御座について専門的見解を有しない一般人にとっては宗教的な印象の薄い特別の儀式であるために、神道その他の宗教を国民に広めることに役立つということはできないし、即位礼正殿の儀に見られた宗教的な性格は、伝統的な儀式が様式において引き継いでいるものであって、それ以上でもそれ以下でもないということができる。また、《証拠省略》によれば、戦前、天孫降臨神話は日本史の起源とされ、皇国史観が支配的になっていたこともあって、高御座は天皇が天照大神以来の権威の源泉を身に付けるために昇る「皇祖の霊座」(大礼使事務官星野輝興「大礼本義」(昭和三年一一月七日官報))と解された時期もあったこと、しかし、天皇の人間宣言(昭和二一年一月一日の詔書)において、天皇の神性的性格や、神話、伝説に基づく天皇の地位が否定され、次いで象徴天皇制を採る現行憲法が施行され、天孫降臨神話はフィクションとして否定されるに至ったこと、そのような状況下にあるため、今日、高御座は、皇室伝来の由緒ある調度品として理解されこそすれ、これを皇祖の霊座であるとか、天皇が神格を身に付ける玉座であるなどとする見解は見受けられないか、あっても極めて少ないと考えられること、また、剣と璽は、三種の神器とはいっても、賢所における鏡、伊勢神宮の鏡、熱田神宮の剣などとは異なって、それ自体は拝礼の対象とされておらず、「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」(皇室経済法七条)として天皇に受け継がれている物であること、このため、今回の即位礼正殿の儀においても、剣と璽は、天皇の両脇に備え置かれたものの、拝礼の対象とされたり、宗教的な祭具として用いられたりしたものではないことが認められ、右認定の事実によれば、高御座、剣及び璽は、少なくとも、今日においては、それが神話と関係するという以上に宗教的意味は有していないか、宗教的性質が希薄であり、ましてそれが天皇の神格化を象徴したり、天孫降臨神話を具現化したりするものとしての要素は少ないから、今回、即位礼正殿の儀に高御座や剣、璽が用いられたからといって、これが神道を援助、助長、促進する効果を与えたということはできないというべきである。

(4) まとめ

以上によれば、即位礼正殿の儀は、政府が象徴天皇制を定める憲法理念を具体化する中で伝統的な儀式の様式を踏襲しつつ、政教分離の観点から宗教的色彩を弱めることとしたことなどにより、その宗教的な効果は一般的には極めて小さかったものということができるから、目的効果基準に照らし、宗教とのかかわり合いが相当とされる限度を超えたものとは認められず、憲法二〇条三項に違反するとはいえない。

(三) 原告らの主張に対する判断

(1) 以上に反し、原告らは、今回の即位礼正殿の儀は、制定の由来からして宗教的性格を有し、宗教的儀式を集大成した登極令附式に従って挙行されたもので、憲法二〇条三項が禁止する宗教的活動に当たると主張する。

しかし、前記一2認定の事実及び《証拠省略》によれば、登極令及びその附式は、明治四二年二月一一日、明治憲法発布二〇年を記念して、践祚式、即位式、大嘗宮の儀に至る天皇の一連の代替わり儀式を総合的に整備し、これを皇室令として公布したものであり、一部には明治憲法下における国家神道の影響から、神道的要素を採り入れた部分があるものの、基本的には皇室において古くから行われている儀式を集大成したものであり、格別、その制定時に儀式を創設したものではないことが認められる。右認定の事実によれば、今回の即位礼正殿の儀が登極令附式を踏襲して行われたからといって、それだけでその儀式が宗教的儀式であるとか、違憲の儀式であると断定することはできないのであり、要は、その儀式が宗教的なものかどうかを個別に検討しなければならないというべきである。しかして、今回の即位が行われるのが約六〇年ぶりのことであり、その間、特に政教分離を定めた現憲法の下での戦後の四十数年間の時代の変化、価値観の変化があったため、従前は宗教的な意味があったかもしれない事柄も、現在では、単に伝統的な行事にまつわることとなり、宗教的意味が希薄となっている面がある。加えて、前記一2認定の事実及び《証拠省略》によれば、今回の即位礼正殿の儀は、基本的には登極令附式を踏襲する形で行われたものの、大正、昭和の即位礼の際に使用された万歳旛からは神武天皇が国内平定を占った神話に基づく厳瓷と呼ばれる酒がめと五匹の魚の紋様を消し、また、大錦旛からは、皇軍を導いたとされる八咫烏、敵軍の目をくらませたとされる金色の霊鵄の紋様を消し、天皇のそばには剣、璽に加えて国璽、御璽を置き、内閣総理大臣以下の服装を古装束からモーニングにするなどの改良を加え、過去の即位礼に見られた仏教的要素、唐風的要素、陰陽道的要素はすべて廃止したことが認められる。

以上のとおりであるから、今回の即位礼正殿の儀に、原告らの主張するような意味での違憲の宗教的要素ないし宗教的意義を認めることはできない。

(2) また、原告らは、天皇が今回の即位礼正殿の儀のわずか数時間前に、宮中賢所で「即位礼当日賢所大前の儀」を、宮中皇霊殿で「即位礼当日皇霊殿に奉告の儀」をそれぞれ行い、これらの儀式において、天皇は、天照大神と一体化し、その子孫として即位することを確認しており、即位礼正殿の儀は、これらの儀式と一体のものとして行われたから、これらの儀式と同様、宗教的儀式に当たると主張する。

しかし、即位礼当日賢所大前の儀及び即位礼当日皇霊殿に奉告の儀は、いずれも即位礼正殿の儀とは別にそれぞれ賢所及び皇霊殿で行われたものであり、天皇が賢所に祀られている天照大神あるいは皇霊殿に祀られている歴代天皇、皇族の霊に即位礼を行うことを奉告することを内容とする儀式であって、天皇の即位を公に宣明しその即位を内外の代表がことほぐという即位礼正殿の儀とは趣旨内容を全く異にするものであるほか、皇室行事として即位礼正殿の儀とは区別して行われたものであるから、即位礼正殿の儀と一体の儀式であると見ることはできない。また、これらの儀式が宗教儀式として行われたからといって、即位礼正殿の儀を宗教儀式と同視することもできないというべきである。

なお、原告らは、即位礼正殿の儀も含め、これら一連の儀式は、天皇や天照大神と一体化し、神々の加護の下で即位したことを内外に明らかにするものであるとして、即位礼正殿の儀が宗教的儀式であると主張するが、右のように、即位礼当日賢所大前の儀及び即位礼当日皇霊殿に奉告の儀は、天皇が賢所ないし皇霊殿で即位礼を行うことを奉告する儀式であって、天皇が天照大神と一体化する儀式ではないし、また、即位礼正殿の儀は、天皇の即位を公に宣明し、その即位を内外の代表がことほぐ儀式であって、天皇が神々の加護の下で即位したことを内外に宣明する儀式でもないというべきであるから、原告らの主張は採用することができない。原告らは、そのような区分が皮相なもので、冒頭の諸儀式は実質的には区別が困難であり、一体的に捉えるべきであると主張するもののようである。そのような評価をするのが適切といえる時代があったかどうかは定かではないが、少なくとも、平成二年ころにおいて、前記諸儀式を一体的な宗教儀式として捉えるべきであった旨を認めるに足りる証拠はない。戦後における現憲法の下で皇室神道というべきものがあるかどうか定かではないが、仮にあるとしてもそれと国家とのかかわり合いは象徴天皇としての国事行為や伝統的儀式の開催を通じてしかなく、かつ、それらに対する国民一般の見方や価値観も一変していることを認識すべきである。したがって、冒頭の諸儀式が一体的な宗教儀式であるとする原告らの主張は相当でないというべきである。なお、このことは、天皇が、前記一2(六)(2)のとおり、即位礼正殿の儀において、「日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承し…日本国憲法を遵守し、日本国民及び日本国民統合の象徴として務めを果たす」としていることからも感じられるところというべきである。

(3) さらに、原告らは、即位礼正殿の儀を国事行為として行ったことが、神社神道に対し著しい援助、助長、促進という効果を与えたと主張し、その根拠として、神社本庁が、その発行している雑誌に、今回の即位礼正殿の儀が挙行されたことに満足の意を表していることを掲げる。

しかし、仮にそのような事実があったとしても、それは、一団体の主観的な評価にすぎない。憲法上の地位にある天皇の代替わりの儀式を国が国事行為として行うことは当然のことである上、その内容が伝統的性格を持ったことにより一面で宗教的性格を帯びた面はあるとしても、即位礼正殿の儀を前記の内容のものとして国事行為として行ったことの意味は、それ以上でもそれ以下でもないのであり、今回の即位礼正殿の儀が神道に援助、助長、促進という効果を与えたということはできない。

2  即位礼正殿の儀と憲法二〇条一項、八九条違反の有無

(一) 憲法二〇条一項後段、八九条の宗教団体等の意義

今回の即位礼正殿の儀が国事行為として行われ、国がこれに国費を支出したことは当事者間に争いがないところ、原告らは、今回の即位礼正殿の儀に国が国費を支出したことは、国が皇室神道という宗教団体に特権を付与し、あるいは、国費を支出したことに当たり、憲法二〇条一項、八九条に違反すると主張する。

そこで検討するに、憲法二〇条一項にいう「宗教団体」及び同法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」とは、宗教と何らかのかかわり合いのある行為を行っている組織ないし団体のすべてを意味するものではなく、国家が当該組織ないし団体に対し特権を付与したり、また、当該組織ないし団体の使用、便益若しくは維持のため、公金その他の公の財産を支出し又はその利用に供したりすることが、特定の宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になり、憲法上の政教分離原則に反すると解されるものをいうのであり、換言すれば、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体をいうと解するのが相当である(最高裁平成五年二月一六日判決・民集四七巻三号一六八七頁)。

(二) 皇室神道の宗教団体性の有無

ところで、《証拠省略》によれば、宮中には、賢所、皇霊殿、神殿という三殿があり、賢所では天照大神を、皇霊殿では歴代天皇と皇族を、神殿では天神地祇、八百万の神々がそれぞれ祀られていること、皇室祭祀は、祭祀(大祭、小祭)、祭儀、その他に分けられるが、紀元節祭が廃止された以外は旧皇室祭祀令等の規定どおり今日も行われており、宮中三殿等において行われる定時の祭祀等として、別紙「皇室祭祀一覧」記載のとおりの儀式があること、そして、それ以外に皇室においては、式年祭等のおびただしい臨時祭があり、これらの皇室祭祀の中心を天皇が務めているほか、掌典、内掌典、仕女、掌典補等の内廷職員がこれを補佐していること、以上の事実が認められる。右認定の事実によれば、皇室は天皇を中心として皇室祭祀を行っているというべきであろう。しかし、天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴としての地位にあるのであり(憲法一条)、憲法の定める国事に関する行為を行う権能を有するのであって(憲法四条)、天皇の皇室祭祀は、天皇の内廷行為(私事)として行われるものである。したがって、天皇を中心とするこのような皇室祭祀を仮に皇室神道と呼ぶにしても、皇室は、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体であるとはいえないから、前記説示に照らし、憲法二〇条一項後段にいう「宗教団体」にも、また、憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」にも当たらないというべきである。原告らは、皇室神道が宗教法人法にいう宗教団体に当たるので、これが憲法二〇条一項後段等にいう「宗教団体」に該当すると主張するが、宗教的活動を本来の目的とするという要件を看過しているものであり、失当である。

(三) 特権の付与の有無

また、即位礼正殿の儀の本来の性格は憲法上国の象徴としての地位を付与されている天皇の即位を公に宣明する点にあり、そのための儀式を執り行うことに国費を要するのは性質上当然である以上、そのための費用の支出が宗教団体に対する特権を付与するものということはできない。

(四) まとめ

以上のとおりであるから、いずれにしろ、即位礼正殿の儀は国が皇室神道という宗教団体に特権を付与したものであり違憲であるとの原告らの主張は理由がない。

3  即位礼正殿の儀と国民主権原理違反の有無

原告らは、今回の即位礼正殿の儀は、天孫降臨神話に基づくものであり、国民主権原理に違反すると主張する。しかし、今回の即位礼正殿の儀が、登極令附式を踏襲する形で行われたからといって、それが天孫降臨神話に基づく儀式であるとはいえないし、また、即位礼正殿の儀に、天孫降臨神話に関係する高御座、剣、璽が用いられたからといって、それが憲法二〇条三項で禁止された宗教的儀式であるとまでいえないことは、すでに見たとおりである。そして、即位礼正殿の儀が国民統合の象徴たる天皇の即位を公に宣明する儀式である以上、そのことは国民主権原理にも沿うことになる。よって原告らの右主張は理由がない。

また、原告らは、今回の即位礼正殿の儀は、天照大神との連続性を皇位の正統性のあかしとするものであり、明白な宗教儀式であるとともに、服属儀礼であるから、国民主権原理に反すると主張する。しかし、今回の即位礼正殿の儀は、天皇が即位を公に宣明し、その即位を内外の代表者がことほぐ儀式として行われたもので、天皇は、日本国憲法に従い即位したことを宣言し、日本国憲法を尊重することを誓っているのであり、即位礼正殿の儀に一面において伝統儀式に伴う宗教的性格があってもそれが憲法二〇条三項で禁止された宗教的儀式とまではいえないし、服属儀礼であるともいえないから、原告らの右主張は理由がない。

さらに、原告らは、今回の即位礼正殿の儀に高御座を使い、天皇が一段高い位置から「お言葉」を述べ、内閣総理大臣がその下で万歳を三唱したのは、天皇が国民よりも一段上であるかのような印象を与えたものであり、国民主権原理に反すると主張する。しかし、天皇が一段高い位置から「お言葉」を述べ、またその位置で万歳三唱を受けたのは、今回の即位礼正殿の儀が天皇の即位礼であるという儀式本来の趣旨、性格に由来するものと考えられ、そこに原告らの主張するような意図があるものとは認められない。しかも、今回の即位礼正殿の儀においては、内閣総理大臣の万歳の発声の位置は天皇と同じ殿上にするなど、国民主権原理にも配慮して行われたことは前記認定のとおりである。また、一般に儀式において壇上に席が設けられることがあるが、それは儀式の性格、機能等諸般の事情から設けられるにすぎず、壇上に席があるだけで、その者が高位にあると決まるわけではない。いずれにしろ、天皇が高い位置で万歳を受けたの一事をもって国民主権原理に反するというのは、論理に飛躍があり、採用することができない。

4  本件公金支出(一)の違法性の有無について

以上のとおり、即位礼正殿の儀は、憲法二〇条三項、二〇条一項後段、八九条に違反するものとはいえないところ、被告らは、即位礼委員会委員長である内閣総理大臣から招待を受け、国事行為としての即位礼正殿の儀に参列したものであり、それ自体は地自法二条二項にいう地方公共団体の事務に当たるものというべきであるから、専決権者の指揮監督の任にある被告長洲が参列の旅費として本件公金(一)を支出したことに財務会計上の違法があるものとはいえないし、被告らがこれを受領したことにも違法があるとはいえない。

三  争点2(大嘗宮の儀の違憲性の有無)について

1  大嘗宮の儀の性格

前記一2認定の事実及び《証拠省略》によれば、大嘗宮の儀は、天皇が、神事を司る掌典職の関与のもとに、大嘗宮において、皇祖及び天神地祇に対し安寧と五穀豊穣等を感謝し、国家、国民のために安寧と五穀豊穣を祈念する儀式であり、神に対する信仰に基づく儀式というべきであるから、これが宗教上の儀式としての性格を有することは否定できないものといわなければならない。なお、大嘗宮の儀については、内陣における儀式が秘儀とされ、公開されていないことから詳細の不明な部分があり、一部には、天皇が神と一体化する儀式であると説く説もあるが、いずれにしろ、そこに宗教的性格があることは疑いがないのであり、政府見解もこれを認めているところである。そして、甲一二二の二によれば、今回政府が、大嘗宮の儀について、そこに公的性格があるとして、約一八億二七〇〇万円の国費を支出したことが認められる。

2  大嘗宮の儀の違憲性の問題の捉え方

ところで、原告らは、国がこのような宗教的性格のある儀式に公的性格を認め、国費を支出することは、宗教団体としての皇室神道に特権を付与するものであり、憲法二〇条一項後段若しくは二〇条三項に違反するとして、そのような国費の支出を受けた大嘗宮の儀も、等しく違憲となると主張する。しかし、仮に大嘗宮の儀を執り行うために国費を支出することが違憲とされるとの見解を想定しても、天皇にも私人としての立場は認められるべきであり、費用の多寡で儀式の規模は変わってこようが、天皇が私的な宗教儀式を行うこと自体は不当なことではないから、国費が支出されたことの一事をもって、大嘗宮の儀自体が違憲となるものではないと解するのが相当である。

そうすると、本件においては、被告井口が大嘗宮の儀に参列したことの違憲性、それに対する公金の支出が許されるかどうかが争われているのであるから、国が大嘗宮の儀に国費を支出したことの違憲性については、検討する必要がなく、公的行為として問題となるのは被告井口による参列であるから、その参列の違憲性の有無だけを問題とすべきこととなる。

四  争点3(大嘗宮の儀参列の違憲性の有無)について

そこで、被告井口が宗教儀式である大嘗宮の儀に参列したことの違憲性の有無について、次に検討する。

1  判断基準

前述したとおり、大嘗宮の儀が宗教的儀式としての性格を有することは否定し難いところ、原告らは、このような宗教的儀式に被告井口が公務として参列したことは、憲法二〇条一項後段、三項に違反すると主張する。

一般に、公務員が宗教儀式に公務として参列するのは、公務員が特定の宗教とかかわり合いのある行為を持ったというにほかならないから、そのような公務員の行為は、地方自治体が宗教とかかわり合いのある行為をしたとして、憲法二〇条三項の該当性が問題となるものといわなければならない。そして、そのような行為が憲法二〇条三項に該当するかどうかは、前述した目的効果基準に照らし判断するのが相当というべきである。この点について、原告らは、目的効果基準を持ち出すまでもなく、大嘗宮の儀への参列は宗教的活動に当たると主張するが、これが採り得ないことは、すでに述べたとおりである。

2  目的効果基準の適用

そこで、まず、被告井口が大嘗宮の儀に参列した目的について見るに、《証拠省略》によれば、被告井口は、平成二年一〇月ころ、大礼委員会委員長藤森昭二宮内庁長官から、神奈川県議会議長あての大嘗宮の儀参列の案内状を受けたこと、当時大嘗祭については、これが宗教的儀式としての性格を有することは否定し難いとのことから、皇室行事として行われることが決定されていたが、政府は、大嘗宮の儀が、天皇の一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であり、皇位の世襲制を採る現行憲法下においても、その儀式について国が深い関心を持ち、その挙行を可能にする手当てを講ずるのは当然のことであるとの観点から、これに公的な側面があるとして、国費を支出する旨発表していたこと、大嘗宮の儀には、被告井口のような県議会議長のほか、三権の長、国会議員、官庁の代表、都道府県知事、各界の代表等が招待されたこと、被告井口は、そのような中で、大嘗宮の儀への参列を決定したこと、以上の事実が認められる。右認定の事実によれば、被告井口は、宗教的儀式の面と同時に伝統的皇位継承儀式としての公的性格を有する大嘗宮の儀に、専ら、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、祝意を表する目的で参列したものというべきであって、そこに宗教的意義等があったものと認めることはできない。

次に、被告井口が大嘗宮の儀に参列したことの効果について見るに、《証拠省略》によれば、被告井口は、大嘗宮の儀に招待を受けて、三権の長、国会議員、他の都道府県知事らの多数の参列者とともに、幄舎と呼ばれる建物の中で、遠く大嘗宮で行われた儀式の様子を見守っていたにすぎず、もとより儀式に参画したり、これに一部なりとも関与したりしたものではないことが認められる。右認定の事実によれば、被告井口の大嘗宮の儀への参列は、全くの私的な宗教色の強い儀式に公務として参列したということではなく、天皇の伝統的な皇位継承儀式としての公的性格もある儀式に儀礼を尽くし、新天皇に祝意を表するという効果を与えたにすぎず、それ以上に特定の宗教を援助、助長、促進するなどの効果を与えたものと認めることはできない。

以上を要するに、被告井口が大嘗宮の儀に参列したことの目的は、天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、祝意を表するという世俗的なものであり、その効果もそれ以上のものではなく、もとより、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を与えたということもできないから、これをもって、憲法二〇条三項にいう宗教的活動をしたと認めることはできず、また、憲法二〇条一項後段の特権を付与したと認めることもできないものといわなければならない。

3  原告らの主張に対する判断

右に反し、原告らは、神奈川県が宮内庁の求めに応じ、庭積の机代物として、茶・落花生等四品を決定して供納した上に、被告井口が公務として大嘗宮の儀に参列したことは、県議会が皇室という宗教団体及びその祭祀としての天皇を特別に支援し、皇室が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教(皇室神道)への関心を呼び起こしたものであるから、憲法二〇条一項後段、二〇条三項に違反すると主張する。

確かに、《証拠省略》によれば、神奈川県は、宮内庁の求めに応じ、庭積の机代物として、茶・落花生等四品を決定して供納している事実が認められるが、このことと被告井口が大嘗宮の儀に参列したこととは全く別の事柄であるし、また、前述したとおり、被告井口の大嘗宮の儀への参列は、そもそも公的な性格を有する儀式への参列という儀礼的な趣旨、範囲にとどまるのであるから、これと神奈川県が庭積の机代物として茶・落花生等を供納した事実とを合わせ見たところで、被告井口の大嘗宮の儀への参列に宗教的意義ないしは効果を認めることはできないといわなければならない。したがって、この点の原告らの主張は採用することができない。

4  本件公金支出(二)の違憲性の有無

右のとおり、被告井口が大嘗宮の儀に参列したことは、憲法二〇条三項にも、同条一項後段にも違反せず、公務として許された範囲内の行為というべきであるから、本件公金支出(二)に、財務会計上の違法はないというべきである。

五  結論

以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 近藤壽邦 平山馨)

〈以下省略〉

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